
妻が、私のキャラを二宮尊徳化してくれて、興味が沸き二宮さんを調べてみました。
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小学校の敷地内によくあったあの銅像の子です!
※今は、ながらスマホの関係からなのか、座っている姿勢になったり撤去されたりと、よくわかりませんが、無くなってしまっているそうです。
名前は通称で二宮金治郎だそうです。
尊徳よりも、金治郎で知られていることが多いと思いますね!
そんな二宮尊徳の生い立ちや学ぶ姿勢、生涯について簡単にまとめてみました!
※冗談抜きに「簡単に紹介」しますので、ご了承ください。
生い立ち
天明の大飢饉の真っ最中の1787年にこの世に誕生します。
災害が多く発生して、全くお米や作物がとれなかった期間のことですね。
今では考えられない状況です。
幼い時(尊徳が10代)に両親を失います。
その後、叔父に引き取られ、生活をすることとなります。
子ども時代「何がなんでも学ぶ姿勢」
一生懸命働いて、夜明かりを照らしながら本を読み勉強していると、叔父から
「油もったいないから、やめれ!」
と怒られました。
尊徳は考えました。
「じゃあ、自分で油作ろう」
敷地の区画に自分専用の「菜種畑」を作ります。いわゆるキャノーラ油です。
自分で作った油で本を読んでいると、今度は時間がもったいない!と怒られました。
まさにパワハラ。
百姓は勉強しなくていい!という理論なんでしょうかね?
立場からしかものを言えない、非常に視野の狭い考え方ですよね。
そこから、あの【薪を背負って本を読む姿】になっていったのだと思います。
大人になって「村人達の救世主」
おじさんの家から、独立します。
自分の実家の再興に取組み、20代中頃には裕福な家に復活させたそうです。
それを知った小田原藩の村を再興してくれ!って小田原藩に頼まれる訳です。
村に行って話しても、村人のやる気がありません。尊徳のことを信用してくれません。
がっちり諦めムードです。
そこで尊徳は、「そんなに私のことが信用できないのであれば、山にこもってファスティングしてきます!」と村人に伝えます。
要は断食です。
あと、祈ることを続けました。
ガッチリ体重が落ちて、げっそりした姿に村人達も火がついて、やる気を出したのです。
尊徳の厳しい指導もあり、生涯にわたって、600以上の村の再興に成功したそうです!
まとめ
そんな尊徳は、小田原藩からの報酬も一切受け取らなかったそう。
そんな人、今の世の中にいるんですかね?
いたとしても、かなりのレアキャラなのは間違いありません。
学びに学びを重ね、報酬のためではなく、あくまでも世の中に対してGIVEを貫き通した生き方は、カッコいいの一言です。
今回の記事は、私がさらっとWikipediaや動画で二宮尊徳を調べた感想をさらっと述べただけに過ぎませんので、興味ある方は調べてみてください!
素晴らしい生き方をしている人だとわかります!
尊徳の説き広めた経済思想【報徳思想】